誰かの利益を損ねてでも全体の利益を確保する、という決定をしなければならないときがある。
その決定に対して責任を負っている人は、利益を損ねた人からの冷たい視線を感じ、
責任のかかっていない人は、全体のため、と割り切ることができる。
利益を損ねた人が責任を負っている人を恨んでいないとしても、責任を負っている人が、「利益を損ねた人に対して負い目ができてしまった、借りができてしまった」と感じることは免れられない。

コメント

nophoto
キャリピロ
2006年3月10日15:50

結局全体を見てないんだよね。
全体が前に進むならば自分が我慢しなければならないときがたくさんあると思うよ。自分勝手が嫌われるのはそこなんでしょうね。

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