3月19日の日記

2006年3月19日 日常
親子とか恋人同士とか親友同士なら、
相手の苦しみを取り除くことが直接に自分の幸せになって、
見返りが無くても相手に尽くすことができる、そこには「自己犠牲」という観念すら存在しなくなることがある。
「ありがとう」とか「うれしい」とか言ってもらえなくても相手のために何かをしようと考える。
けれど、大多数の人間関係のなかでは、そんな関係にはならない。何か見返りを求めることが多い。
でも、何かを与える与えられるの人間関係がほとんどでもいい。
そして、何かを与えられたときに発する「ありがとう」などの単なる挨拶の言葉は、見返りの基本だと思う。
「ありがとう」と言われた人は、その言葉でほんの少し心が潤される。

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