昨日の続き
バスケットボールやハンドボールは、試合終盤になっても戦い方が変わりにくいです。負けている方が、守備時にボールを積極的に奪いに行ったり、早めにシュートをしようとすることはあるかもしれないですが、それぐらいでしょう。
攻撃側がリードを守りきるために時間稼ぎをすることはないはずです。「攻撃の意思なし」という反則があるためです(でも、うまいチームは、「攻撃の意思なし」の反則がとられない程度に時間をかけた攻撃をしたりしてるのでしょうか)。少なくとも、サッカーのようにあからさまにリードを守りきろうとする戦い方はできないできません。
ラグビーも同様で、戦い方は変わりにくいです。勝っている方がリードを守り切ろうとするには、陣地を広げるためのランニングとパスをすることが一番ですが、これはまさに通常時の作戦と同じです。負けている方も同じで、トライを奪うために陣地を広げようとするしかありません。どちらも試合を通じて陣地を広げるための作戦を繰り返すのみなのです。
ただし、点差が僅差ならば、負けているチームはドロップゴールを狙うということはあるかもしれません。ドロップゴールは、通常は狙わない(はず)なので、これは試合終盤の作戦といえるかもしれないですね。
テニス、卓球、バレーなどは、試合終盤でもほぼ戦い方は変わらないです。これらは、ある一定の得点をどちらが先にとるかという競技です。そのため、純粋にポイントの積み上げの先に勝敗という結果があるという性質を有し、序盤でも終盤でも同じようにポイントを奪いに行くしかないのです。
ここまで考えてくると、野球やサッカーの監督が采配を批判されることが多いのが分かる気がします。
もちろん、この2つの競技は人気があるので、その裏返しというのはあるかもしれません。しかし、采配が批判されるのは、監督の指示が試合の勝敗に直結している(ように見える)点が大きいのではないのでしょうか。
前に述べたように、野球やサッカーは試合終盤に戦術を変更する余地が大きく、その判断は監督によりますからね。試合終盤という緊迫した場面で、監督の判断でチームの戦い方が変わるのですから、監督の采配で勝敗の行方が決まっているようにみえるのも無理はないかもしれません。
バスケットボールやハンドボールは、試合終盤になっても戦い方が変わりにくいです。負けている方が、守備時にボールを積極的に奪いに行ったり、早めにシュートをしようとすることはあるかもしれないですが、それぐらいでしょう。
攻撃側がリードを守りきるために時間稼ぎをすることはないはずです。「攻撃の意思なし」という反則があるためです(でも、うまいチームは、「攻撃の意思なし」の反則がとられない程度に時間をかけた攻撃をしたりしてるのでしょうか)。少なくとも、サッカーのようにあからさまにリードを守りきろうとする戦い方はできないできません。
ラグビーも同様で、戦い方は変わりにくいです。勝っている方がリードを守り切ろうとするには、陣地を広げるためのランニングとパスをすることが一番ですが、これはまさに通常時の作戦と同じです。負けている方も同じで、トライを奪うために陣地を広げようとするしかありません。どちらも試合を通じて陣地を広げるための作戦を繰り返すのみなのです。
ただし、点差が僅差ならば、負けているチームはドロップゴールを狙うということはあるかもしれません。ドロップゴールは、通常は狙わない(はず)なので、これは試合終盤の作戦といえるかもしれないですね。
テニス、卓球、バレーなどは、試合終盤でもほぼ戦い方は変わらないです。これらは、ある一定の得点をどちらが先にとるかという競技です。そのため、純粋にポイントの積み上げの先に勝敗という結果があるという性質を有し、序盤でも終盤でも同じようにポイントを奪いに行くしかないのです。
ここまで考えてくると、野球やサッカーの監督が采配を批判されることが多いのが分かる気がします。
もちろん、この2つの競技は人気があるので、その裏返しというのはあるかもしれません。しかし、采配が批判されるのは、監督の指示が試合の勝敗に直結している(ように見える)点が大きいのではないのでしょうか。
前に述べたように、野球やサッカーは試合終盤に戦術を変更する余地が大きく、その判断は監督によりますからね。試合終盤という緊迫した場面で、監督の判断でチームの戦い方が変わるのですから、監督の采配で勝敗の行方が決まっているようにみえるのも無理はないかもしれません。
コメント
なんどこの反則取られたことか。。。
私たちの場合は
攻撃の意思がないではなく、
攻撃しようがなかったっていうのが正しいんですけどね。
なつかすぃーーー!
まあでもその反則がないと、守る側が困ってしまうのでしょうけど・・・。