不可能なことなら責任はなし
2015年2月13日 スポーツ コメント (2)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150213-00000097-san-socc
アギーレ監督を解任したことについて、日本サッカー協会の「任命責任」はあるのか。
個人的には、事前に十分な調査を行っても八百長疑惑にたどりつけなかったのならば、協会の責任を問うべきではないと思います。
調査してもわからないことについて責任を問うことは、当事者に不可能を強いることになります。そんなことについてまで責任を問うのならば、今後は誰も日本代表監督選任の仕事をやりたがらないでしょう。
アギーレ氏を日本代表監督に任命した段階で八百長疑惑を把握することは可能だったのか。それが最も重要なポイントです。
アギーレ監督を解任したことについて、日本サッカー協会の「任命責任」はあるのか。
個人的には、事前に十分な調査を行っても八百長疑惑にたどりつけなかったのならば、協会の責任を問うべきではないと思います。
調査してもわからないことについて責任を問うことは、当事者に不可能を強いることになります。そんなことについてまで責任を問うのならば、今後は誰も日本代表監督選任の仕事をやりたがらないでしょう。
アギーレ氏を日本代表監督に任命した段階で八百長疑惑を把握することは可能だったのか。それが最も重要なポイントです。
コメント
人は不可能なことについて責任を問われるべきではありません。
したがって、アギーレ氏を日本代表に任命する前に、
彼の八百長疑惑について十分な調査を行うことが可能だったのか、
そして、実際に十分な調査をしていたかどうかが、
非常に重要なポイントです。
そして、八百長疑惑の調査は非常に難しいと思います。
なぜなら、八百長はバレてしまったら、
関与した人たちにはサッカー界からの永久追放を含む厳しい処分が待っていますので、
八百長工作をする際には秘密を保持するべく綿密な工夫がなされるであろうと
想像されるからです。
そうなんです。八百長はその性質上、ちょっとやそっとのことで明るみになるわけではないですからね。
日本のサッカー協会が八百長疑惑を把握するのはかなりの困難を伴ったと思うのです。
そのあたりのことを考慮することは、今後のことを考えても非常に重要なポイントのはずです。