ちょっとした失敗を気にしすぎたらだめだよね。
また挽回するチャンスはある。
そのときのために、今やるべきことをしっかりとやり、
チャンスを掴めるだけの力を蓄えておく。
また挽回するチャンスはある。
そのときのために、今やるべきことをしっかりとやり、
チャンスを掴めるだけの力を蓄えておく。
昔の写真見て、なんで自分笑ってないんだろうって思った。
もっと笑っていかなきゃ人生楽しくないよね。
そのときは、後ろめたさと冷めた感情があって、笑う気になれなかったんだろうけど。
ってかすごい懐かしかったよ。
何だかんだいって思い入れが深くなってしまってる。
そして、あの中で自分結構頑張ったんじゃね、と思った。
もっと笑っていかなきゃ人生楽しくないよね。
そのときは、後ろめたさと冷めた感情があって、笑う気になれなかったんだろうけど。
ってかすごい懐かしかったよ。
何だかんだいって思い入れが深くなってしまってる。
そして、あの中で自分結構頑張ったんじゃね、と思った。
自信をもってものごとに取り組むって必要なことなんだろうね。
もちろん、自信が過信に変わっちゃいけないけど、自信に満ち溢れた行動や態度をとっていく方が成功の確率は高い。
何を自信の根拠にすればいいのか。実績かそれとも経験か。でも、もっとも拠り所にしやすくて、拠り所にすべきなのは、努力量なんだろうね。自分の場合は勉強量。
これだけやったんだから、それで駄目だったら仕方ないと思えるぐらいの努力量。
そして、どのレベルに至ろうとも、努力する心や向上心を失ったらだめんだろう。
もちろん、自信が過信に変わっちゃいけないけど、自信に満ち溢れた行動や態度をとっていく方が成功の確率は高い。
何を自信の根拠にすればいいのか。実績かそれとも経験か。でも、もっとも拠り所にしやすくて、拠り所にすべきなのは、努力量なんだろうね。自分の場合は勉強量。
これだけやったんだから、それで駄目だったら仕方ないと思えるぐらいの努力量。
そして、どのレベルに至ろうとも、努力する心や向上心を失ったらだめんだろう。
疲れた。けれど、そんなこと関係なくやらなけりゃならないことはある。でもやってらんないと思ってしまう。自分自身の性格によるところも大きいけど。余計なストレスを感じてしまう性格なんだよね。というか、単なる見栄っ張り。素直に自分を出せればいいのだけれど、それができない。なぜか意味ないところで肩肘を張ってしまう。周りの人間を信用できてないことの証左なのかな。自分から何かを発言することに恐怖を感じる。自分に対する自信のなさもあるんだろうな。自分自身の経験が少ないから、その場所にいてはいけないんじゃないかという劣等感。笑えてない。けど、笑わないのはマナーに反するので作り笑顔。でも逃げられない。すぐに日常がやってくる。
余計なことは考えないで、とにかく、最高の集中力を維持していくしかない。
今はそれが自然にできている、けど、すごく疲れる。
疲れるけど、やるしかない。勉強のことだけ考えるようにする。
けれど、気が狂いそうだ。これで結果が出なかったら、もうどうしようもないかもしれない。
今はそれが自然にできている、けど、すごく疲れる。
疲れるけど、やるしかない。勉強のことだけ考えるようにする。
けれど、気が狂いそうだ。これで結果が出なかったら、もうどうしようもないかもしれない。
今は「ありがとう」って言うときは心からそう思って発言するけど、
かつて、本心ではない「ありがとう」を連発してた時期があった。
その「ありがとう」の言葉には、確かに感謝の念もこめられてるけど、他の負の感情をかなり押し殺した「ありがとう」だった。
負の感情がでてくる根本をたどれば、それは自分の責任だという結論に行き着くのだけれどね。
自分の責任だということはわかってたから、負の感情は封殺して「感謝の気持ち」に専念しようとしていた。
かつて、本心ではない「ありがとう」を連発してた時期があった。
その「ありがとう」の言葉には、確かに感謝の念もこめられてるけど、他の負の感情をかなり押し殺した「ありがとう」だった。
負の感情がでてくる根本をたどれば、それは自分の責任だという結論に行き着くのだけれどね。
自分の責任だということはわかってたから、負の感情は封殺して「感謝の気持ち」に専念しようとしていた。
疲労感はあるけれど、それを言っててもしょうがない。ちょっと調子が悪いときにどれだけ頑張れるかが大事だよね。目の前のことをこなすのが重要だと信じないと。
栄えている人のところに人が集まるのは当然のこと。現金な感じもするけど、それに嫌悪感をもってはいけない。そして、そんな中でも自分を律していけるかが大事。
安倍さんが首相やめた。
政治家をいくら批判したとしても、批判する側がたたかれることはまず無い。
大人から子供まで、どんな立場の人であっても政治家を批判することは許されているよね、今の日本は。
なぜか政治家=悪というイメージがあり、なぜか政治家は信頼されていないので、悪を叩くのは良いこととする風潮がある気がする。
その中で、政治家が「正しい」決断をしていこうとするなら、相当に強い信念を自分の中にもち、その信念に基づいて自分の政策を評価していかないといけないだろう。
また、無数にある批判の中でどれが有益な批判なのか、それを自分の信念に基づいて見極める必要がある。
そして、どんな結果に対しても政治家は責任を負わなければならない。さらに、どんな結果が出ても、政治家に対ししては必ず新しい批判がでてくる。
その中で、自分の信念を持ち、国のための政策を決断するというのは大変なことなんだろうな、と思う。
小泉さんの中には、信念を全うしたという充実感があるだろうけど、安倍さんには多分無い。
それが、今回の辞任劇で最も残念に感じる。
政治家をいくら批判したとしても、批判する側がたたかれることはまず無い。
大人から子供まで、どんな立場の人であっても政治家を批判することは許されているよね、今の日本は。
なぜか政治家=悪というイメージがあり、なぜか政治家は信頼されていないので、悪を叩くのは良いこととする風潮がある気がする。
その中で、政治家が「正しい」決断をしていこうとするなら、相当に強い信念を自分の中にもち、その信念に基づいて自分の政策を評価していかないといけないだろう。
また、無数にある批判の中でどれが有益な批判なのか、それを自分の信念に基づいて見極める必要がある。
そして、どんな結果に対しても政治家は責任を負わなければならない。さらに、どんな結果が出ても、政治家に対ししては必ず新しい批判がでてくる。
その中で、自分の信念を持ち、国のための政策を決断するというのは大変なことなんだろうな、と思う。
小泉さんの中には、信念を全うしたという充実感があるだろうけど、安倍さんには多分無い。
それが、今回の辞任劇で最も残念に感じる。
あくまでも自分を信じてやっていかないとだよね。努力は報われるとは限らないけど、自分の力を100%だそうとするなら、継続していかないといけない。とにかく、求められてるのは結果だけなんだから。