11月13日の日記

2006年11月12日 日常
試験疲れるよ・・・・・。
結果全部わかるの12月の下旬だよ・・・・・。
とりあえずニートは避けたい。

11月7日の日記

2006年11月7日 日常
つらくても、見通しがあれば頑張れることってあると思う。
いついつまで耐えれば状況は好転する、とわかっていれば、
とにかく今頑張ろうって気分になれる。
けれど、永遠に苦しい状況が続くようだと、絶望してしまう。
頑張れなくなってしまうこともある。

11月2日の日記

2006年11月2日 日常
昔の友達と会って話したい。
俺が自分の殻に引きこもったから、その友達と会わなくなったんだけど、
自分の殻に引きこもったら、充電できたから。
またその友達と会いたい。

10月29日の日記

2006年10月29日 日常
2ヵ月後には全ての結果がわかっている。
タイムマシンで2ヵ月後どうなってるのかみてみたい。
結果を知れば少しは楽になるかも。

10月24日の日記

2006年10月24日 日常
その人と会っていないときは、その人のことを憎んでいたり、
その人ともう関わりたくないとか思うけれど、
いざその人と対面して、話をすると、
不思議とそういう感情はでてこなかったりするんだよね。
何故だろう。やっぱり「身近な人」って思うと憎めなくなるものなのかね。

10月18日の日記

2006年10月18日 日常
自己満足のために他人を助ける、って言ったらひねくれたやつだと思われるかもだけど、
他人を助ける、って究極的にはそういうことなんじゃないのかな。
他人が喜ぶのがうれしい、って思うのは自分なんだから。

10月12日の日記

2006年10月12日 日常
「落ちたらどうするのか」「不安だ」「プレッシャーだ」「精神的にきつい」
といったことを最近考える。
ま、落ちても死ぬことは無い、と考えると少し気持ちが落ち着く。
何だろね。12月が終って全ての試験をこけたらニートなわけだが。
やっぱしそれは嫌だよね。
自分の選んだ道だから、方針を変えるつもりはないけど、
もし全部ダメだったら・・・・というのは考えてしまう。
ダメだったら・・・・就職も考えないとだろうな。
できれば、もう一回は挑戦したい。就職しながらでも、できるならもう一回は挑戦したいと思う。
果たしてどうなるか。
今年受かるのが一番なんだけどね。
いきなりだが、他の人の日記の引用。
「ココまで犠牲にして、代償払って学ぶべき事なのか?」
ってことはあると思う。
そして、必死に「学ぶ価値があるんだ」と信じる。

9月29日の日記

2006年9月29日 日常
精神的に切羽詰ってるときは仕方の無い判断だったと思うけど、
心に余裕が出てくると、もう少しやれるんじゃないか、精神的に追い込まれてたから冷静な判断ができなかったんじゃないか、と思ってしまう。
けど、追い込まれているからこそ、余計なものを排除できて自分に正直な判断だったともいえる。
ギリギリの感覚での決断は、果たして信じていいのか。
多分、信じるけど。
他人のために頑張る人って、かなり大きな覚悟があると思う。
必死だと思う。
例え、誰にも感謝されることがなくともやりぬこうとするだろうから。
過去を振り返るのって、「立ち止まる」ということだと思う。
過去を振り返ることも必要だとは思う。
心が折れているときは、過去を振り返るべきなんだろう。
でもやっぱりそれだけじゃ前に進めない。
新しいことに挑戦することが億劫になってしまう気がする。
小学校や中学校の頃のことを思い出すと、
懐かしくて、元気が出てくることがある。
けど、昔を懐かしんでばかりでいいのか。
未来を見据えて前に進んでいかなきゃなのではないかという不安にもかられる。

9月18日の日記

2006年9月18日 日常
結果が残せないときに、
常に他人を納得させることができる理由があるわけではない。
辛いときは「自分を否定しない」ってスタンスでいい。
けれど、居心地の良い場所に居続けると、そこに安住してしまう。
ぬるま湯につかってしまって、向上心がなくなってしまうことがある。
居心地が良いってのは楽だから、それを無条件に肯定してしまうんだろう。
結局バランスなのかな。自分を否定しないで自分を守りながら生きていくことと、厳しい場所に飛び込んで自分を高めていくことのバランス。
バランスをとるのは、多分難しい。

9月12日の日記

2006年9月12日 日常
ある人との距離が近いとすると、その人を客観的にみることは難しくなる。
過大評価したり、逆に過小評価してしまうこともある。
けれど、距離が近ければいろいろな面で信頼はしやすくなる。
そして、信頼の中で過ごせるって重要だと思う。
うまくいかないことがあるときに、
それを全部自分が背負ってしまうと、自分自身が潰れてしまうことがある。
あるいは、自分さえ我慢していれば物事がうまく回る、と判断してしまい、苦しみを背負い込んでしまうというのは、あまり良くないパターン。
何かを背負い込んでいる人を支える人が一人でもいれば、その人が潰れることはないだろう。
けど、本当に一人で、孤独な中で耐えている人というのは、本当に辛いだろう。
どんなに理不尽なことであっても、味方がいれば結構耐えられる。
自分を認めてもらえるって、大事なことだと思う。

9月5日の日記

2006年9月5日 日常
多分、何もプレッシャーや責任がかかっていないほうが、冷静でいられるから良い選択はできるんだと思う。
けれど、何も無いところでベストな選択をすることとは違う価値が、プレッシャーや責任がかかった状態でする選択にはあると思う。
そして、そういうプレッシャーの中で選択することって、重みがある。

9月2日の日記

2006年9月2日 日常
罪悪感がちょっと薄れた。
普通は何ともないことでも、心の負担になってしまってる。
嫌なこと耐え抜いたんだからいいじゃん、と思ってしまう。
去年、あれだけの思いをしたのだから、
体力と神経を削ってやり続けたのだから、
ちょっとくらい自分の利益のために利用したっていいよね。
と、ここに書くことで罪悪感を和らげようとする。

< 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 61 62 63 >

 

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索