自己開示すれば他人と親密になれるらしい。
けれど、自己開示するのが苦痛だったり怖かったりしたらどうすればいいのか。
経験からバランスをとっていくしかないのか。
以前から、自己開示しなきゃいけないとは思っているけど、
なかなかうまくいかない。

3月14日の日記

2009年3月14日 日常
悪いことは全部他人のせいにして生きていけたら楽だよね。
けれど、それだと人は成長できない。
現状を改善することを試み続けないといけない。
負のスパイラルから抜け出せない。

3月5日の日記

2009年3月5日 日常
この程度のことで落ち込んでしまうのはかっこ悪いけど、
それなりに頑張ってきたことについて結果がでないというのはへこむ。

3月4日の日記

2009年3月4日 日常
何だかいろいろ疲れたよ。
やることありすぎて。
我慢が報われると少しは救われるんだけど。
今日は、自分は何ができて何ができないのかがわかった気がする。
得意なものと不得意なものがわかったと言うべきか。
自分が不得意なものを得意にしていくというのは簡単なことではないけれども、
少しずつでも改善できるところは改善していく。

2月20日の日記

2009年2月20日 日常
どんな形であっても、他人の評価を口にするときにはかなりの覚悟を必要とする。
それは、尊敬とか感服とかプラスの評価を口にする場合であっても、
軽蔑とか侮りとかマイナスの評価を口にする場合であってもかわりはない。
そういう言葉を発するということは、「その人はこういう人間である」ということを自分が責任をもって保障するようなものだからだ。
そんなことを、責任をもって保障なんかしたくないから、できれば良い評価でも悪い評価でも他人の評価なんてしたくない。
だから、公的な場では自分の発言を多くの人が聞いているから、自分の下した他人への評価を覆すことがとても難しいく特に勇気がいる。
逆に言えば、発言を覆せしやすい私的な場よりも、覆しにくい公的な場での評価というのものの方が価値が大きいともいえる。

2月18日の日記

2009年2月18日 日常
自分はこのままでいいのか、ということを考えさせられる日だった。
一時の快楽を求め、そんなに頑張らなくてもよいのではないかと考えたり、
このままじゃ駄目だからもっと自分に厳しく、現実を見つめて生きていかなければいけないのかということを考えたりしたが、
相反する二つの考え方のどちらが正しいのか結論は出ていない。

2月17日の日記

2009年2月17日 日常
信じたことをやり抜いたとしても、
自分が望んだ結果がでるという保障はどこにもない。
けれど、自分が信じた通りに突き進むしかない。

2月13日の日記

2009年2月13日 日常
欲がなければ、人間が苦しむことはない。
何かをするとしても、余計な欲があることが足かせになることがある。
欲を捨て去って、必要なことをやり続けることができるなら、何も思い悩むことはない。
幸せは心の中にあるって本当だね。

何か継続的に物事をしているときに、
局地的に運が悪くてうまくいかなかった場面というのがあると思う。
あるいは、あの時こうしていればうまくいった、ということを考えることがあるかもしれない。
けれど、トータルでみれば結局は結果はそんなに変わらないということが多い。
局地的に運が悪かったということは、逆に、局地的に運が良かったということもあるはずだし、
あの時に偶然にも良い選択をしたからうまくいったということだってあるはず。
最終的には自分のもっているものしか出てこないのだから、目の前のことを一つずつこなしていって、
トータルの結果を良くするしかない。
チーム全員が、「組織のため」と思って意見を言うとまとまらないときがある。
それをまとめるのが組織の上層部の仕事で、
「意見が出ることは組織の力になる」と思って意見を受け止めることが必要なのかもしれない。
けれど、上層部に余裕がないと意見を受け止めることができない。
そして、失敗すると「あの時、意見を聞いていてくれたら」って話になる。
ギリギリの選択をしていても、最終的には結果で判断される。
自分の判断は正しいと信じるしかなかった状況でも、結果によって批判されることが多い。
そうなると、精神的に追い込まれていく。
自分の判断は最善のものだったと思える度胸がほしい。

イエスマンはいけないとか批判されるけど、
つらいときは、どんな形でも良いから自分を肯定してくれる言葉が欲しい。
例えイエスマンの発する言葉でも、考えを肯定してくれるなら、
ほんの少しだけど心が潤う。

何かをやり遂げようとするときには、苦境に立たされても、決して軸がぶれてはいけない。
その軸に沿って何かをやろうとしているのだから、
軸がぶれてしまうと、それまで積み上げてきたものも崩壊しかねない。
だから、短期的な結果がでなかったとしても、その軸がぶれるようなことがあってはならない。
派遣村について非常に示唆に富んだ記事だと思います。
皆、自分の責任で自分の信じる通りに動いているのだと思います。
ここに、善とか悪といった観念をもちこむべきではないのではないかと。
ただ、各人に守るべき利益があるだけなのかな、と思う。

1月17日の日記

2009年1月17日 日常
人間不信に陥ると言っても、
それは、人間不信に陥っている人がどういう風に自分の人間関係を捉えるかによって発生している。
だから、つきつめれば、人間不信は自分の心の持ち方が悪い人が陥るものということになる。
つまり、人間不信に陥っている人は自分自身でその状態を抜け出すべきだということになる。

最近、無気力になってしまうことが多い。
何をやったって無駄だ、と思ってしまう。
やる気があるときはあるのだけどね。
無気力になっているときは決まってくだらない妄想をしている。
自分の都合のいい妄想をね。

1月5日の日記

2009年1月5日 日常
本当は人と話すことが苦手だし、そんなに好きではないのに、
仲良くしようとするふりをしているから、
どこかでボロが出てしまうんだろう。

1月4日の日記

2009年1月4日 日常
裏のある相手と交渉するとき、
あるいは、相手が矛盾を抱えた存在でその相手を批判したいと思うときに、
真正面から相手の弱いところを突くというのは得策ではない。
そのときは相手からの反撃もかなりのものだと覚悟しなければならない。
むしろ、相手の矛盾点の間隙を突くような質問をすべき。その質問は素朴な疑問としての外観をもっていればなお良い。
その素朴な疑問を通じて、相手側の弱点をさらけださせる。そうすれば、自分に火の粉が降りかかってくることは少なくなる。
明けましておめでとうございます。
今年もこの日記には自分勝手だけれども心の底から感じたことを書いていこうと思います。
自分の中のどす黒い部分と向き合って感じたことをこの日記に書くことが多いので、
あんまりいいことは書けないと思いますが、
よろしくお願いします。

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