12月5日の日記

2009年12月5日 日常
自分がどれだけちっぽけな存在かということがわかれば、
他人に対して優しくなれるような気がする。
当たり前の話かもしれないけど。

11月26日の日記

2009年11月26日 日常
くだらないことで悩んでしまう。
悩むべきことで悩むのは必要なんだけど、
正直どうでもいいことで悩むのは時間の無駄。
そんなことはどうでもいいと割り切りたい。

11月18日の日記

2009年11月18日 日常
何をするにしても、一歩一歩やっていくしかないのだと思う。
けれど、最近は、それで目標を達成できる気がしない。
だからといって、歩みを止めるつもりはないのだけれども、
ちょっと絶望感に襲われている。

11月11日の日記

2009年11月11日 日常
何をするにしても、最終的には自分の判断に頼るしかない。

11月4日の日記

2009年11月4日 日常
目標には、短期的なものと長期的なものの二つが必要かもね。
長期的な目標だけだと、とりあえず何をすればいいのかというのがわからなくなる。
短期的な目標だけだと、本当に目指したいものから方向がずれてしまう。

10月27日の日記

2009年10月27日 日常
先日、友人の結婚式に出席した。
仲間内で贈り物をすることにして、結婚式の二次会でプレゼントを渡した。
喜んでくれたみたいでよかった。
結婚式って、2人の関係を社会的に承認してもらうって意味もあるんだよね、多分。
だから、贈り物をすることで、みんなが2人の関係を承認し祝福していると感じてくれるとうれしい。


自分がされて嫌なことは人にしてはいけない、
と子供のときによく言われた。
この言葉は必ずしも真実ではない。
でも、多くの場合はこの言葉は当たっている。
少なくとも、自分がされて嫌かどうかということは想像する努力はすべきだろう。
そして、自分がされて嫌だと思うなら、それをやることには慎重になるべき。

10月15日の日記

2009年10月15日 日常
自分は自分、他人は他人と割り切ることはどれほど必要なのだろうか。
このことを強調しすぎると、他人から何か学ぶ姿勢が失われてしまう気がする。
でも、他人から何を吸収するのか、結局決めるのは自分なのだから、他人は他人と割り切ることが不要というわけではない。

10月7日の日記

2009年10月7日 日常
自分を過信することは禁物だけれども、
結果が出ている部分についてはある程度は自分を信じるべき。
しかし、そのバランスは難しい。

10月1日の日記

2009年10月1日 日常
ここまできたら、状況を楽しもうと思う。
やるべきことはやってきたはずなのだから、
一つ一つ、相手からどのような反応が返ってくるのか、
それを楽しもうと思う。

9月27日の日記

2009年9月27日 日常
何をするにも目的意識をもつ。
継続は堕落である。
練習のための練習はしない。試合のための練習をする。
これらの言葉は、同じような意味をもっていると思う。

9月19日の日記

2009年9月19日 日常
何をすべきなのかわからないが、
何かをしなければならないと感じるときがある。
そういうときは、とにかく闇雲にでも何かをすべきなのか。
それともじっくりと何をすべきか計画してから動くべきなのか。
なるべく運とか偶然に頼らずに目的を達成できるようにしたい。
もちろん、最後の最後に運が必要になることもある。
でも、それは人事を尽くしたことが前提。人事を尽くした上で運がついてくることを祈ることになる。
だから、ギリギリまで、意図をもった積み上げによって目的を達成しようとするべきなんなろう。

9月5日の日記

2009年9月5日 日常
一つの目的を達成するために、何をすればよいかわからないときはどうすればいいのか。
いくつか手段は思い浮かぶのだけど、どれも有効ではないと思えてしまう。
多少可能性が低くとも、その手段で目的が達成できるかどうか試してみるべきなのだろうか。

8月28日の日記

2009年8月28日 日常
最近は、
日記を書くような気力が起きない。
日記を書く時間がとれないこともある。
まあ、別にいいんだけどね。書きたいときに書くから。
でも、できれば何かしらの記録は残したい。

8月16日の日記

2009年8月16日 日常
後悔するような時間の使い方をしてしまうことがある。
でも、そのことをあまり引きずってはいけない。
無駄な時間の使い方をしてしまったことを反省して、
今何をするべきかを考えなければならない。

8月4日の日記

2009年8月4日 日常
自分で選んでしまった道だからしょうがない。
とにかく今の状況の中で結果を残すしかない。
心を開いてほしい人がいる。
けど、それを期待するのはやめようと思う。
心を開いてくれることなどあり得ない、自分にとっては高望みだと思うようになった。

7月22日の日記

2009年7月22日 日常
無意識のうちに発言してしまったことの中から、
その人が相手のことを考えているかどうかわかることがある。
無難な発言、正しいことを言っているだけの言葉だとしても、
それが実は相手を傷つけていることがある。
どう表現すれば相手は傷つかないか、それを常に意識して言葉を選んで表現している人はすごい。
そして、そういう言葉を選べる能力というのは、相手を傷つけないだけではなく、
交渉の場とかもっといろいろなところで応用できそうだ。


責任を負っている人は一貫した立場・主張をもち、もたなければならない。
責任を負っていない人は、一貫した立場・主張をしない。
この法則、久しく忘れていた。
責任を負っている人は、周りに惑わされることなく物事を決定していかなければならない。
多少の不満が「責任を負っていない人間」から出たとしても、いちいちそれに付き合っていたら、大局を見誤ってしまう。

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