維新・橋下氏、「はだしのゲン」で朝毎を批判 「教委の独立性否定」(産経新聞)
2013年8月27日 時事ニュース
大阪市の橋下徹市長が興味深いことを言っているので取り上げます。
「はだしのゲン」の閲覧制限問題では、松江市の教育委員会が児童への閲覧制限を行い、その後に世論の批判を受けて閲覧制限を撤回しています。
橋下氏の言うように、教育委員会の独立性という観点からすれば閲覧制限の撤回には大きな問題があります。教育委員会は外部からの圧力を受けて自らの決定を覆したわけですからね。
誤解のないようにしておきたいのですが、橋下氏が提起している問題は、「はだしのゲンの閲覧制限自体が正しいかのか誤っているのか」という問題とは全く次元の違う話だということです。
教育委員会は、独立性をもった組織だとされていました。
人や組織に独立性を持たせるとはどういうことか。それは、独立性をもった者の判断がどのようなものであれ、その者の判断を尊重する制度を作るということです。
たとえ多くの人が誤った判断だと考えたとしても、社会的に大きな非難を浴びたとしても、独立性をもった者の判断ならば覆されてはいけないはずなのです。
今回の事件では、「はだしのゲン」の閲覧制限が正しかろうが間違っていようが、教育委員会が判断した以上はこの決定は覆されるべきではないと考えることもできたのです。それが、教育委員会という組織の独立性を守るということのはずです。
ちなみに、今回の件で橋下氏は、教育委員会に実質的な圧力をかけたとして朝日新聞や毎日新聞などのメディアを批判していますが、究極的には彼らメディアの行動は正しかったと考えているのではないでしょうか。なぜなら橋下氏は「(教育委員会の)完全独立性は良くない。民意をある程度反映させなければならない」と述べているからです。
橋下氏は、教育委員会の独立性を守る必要性は低く、教育委員会の判断は社会の世論を反映したものである必要があると考えているのです。つまり橋下氏は、新聞などのメディアを通じた世論により教育委員会の判断に影響が生じても構わないという考えをもっていることが推察できます。
繰り返しになりますが、今回の問題提起は「はだしのゲンの閲覧制限が正しいか誤っているか」とは関係がありません。「たとえ誤った判断だとしても、教育委員会に独立性を持たせているならば、教育委員会の判断を尊重すべきではなかったか」という問題なのです。
独立性をもたせることと、世論の意向を反映させるということは二律背反の関係にあります。
「はだしのゲン」事件は、教育委員会の独立性に関する問題に一石を投じたと言えるのではないでしょうか。
「はだしのゲン」の閲覧制限問題では、松江市の教育委員会が児童への閲覧制限を行い、その後に世論の批判を受けて閲覧制限を撤回しています。
橋下氏の言うように、教育委員会の独立性という観点からすれば閲覧制限の撤回には大きな問題があります。教育委員会は外部からの圧力を受けて自らの決定を覆したわけですからね。
誤解のないようにしておきたいのですが、橋下氏が提起している問題は、「はだしのゲンの閲覧制限自体が正しいかのか誤っているのか」という問題とは全く次元の違う話だということです。
教育委員会は、独立性をもった組織だとされていました。
人や組織に独立性を持たせるとはどういうことか。それは、独立性をもった者の判断がどのようなものであれ、その者の判断を尊重する制度を作るということです。
たとえ多くの人が誤った判断だと考えたとしても、社会的に大きな非難を浴びたとしても、独立性をもった者の判断ならば覆されてはいけないはずなのです。
今回の事件では、「はだしのゲン」の閲覧制限が正しかろうが間違っていようが、教育委員会が判断した以上はこの決定は覆されるべきではないと考えることもできたのです。それが、教育委員会という組織の独立性を守るということのはずです。
ちなみに、今回の件で橋下氏は、教育委員会に実質的な圧力をかけたとして朝日新聞や毎日新聞などのメディアを批判していますが、究極的には彼らメディアの行動は正しかったと考えているのではないでしょうか。なぜなら橋下氏は「(教育委員会の)完全独立性は良くない。民意をある程度反映させなければならない」と述べているからです。
橋下氏は、教育委員会の独立性を守る必要性は低く、教育委員会の判断は社会の世論を反映したものである必要があると考えているのです。つまり橋下氏は、新聞などのメディアを通じた世論により教育委員会の判断に影響が生じても構わないという考えをもっていることが推察できます。
繰り返しになりますが、今回の問題提起は「はだしのゲンの閲覧制限が正しいか誤っているか」とは関係がありません。「たとえ誤った判断だとしても、教育委員会に独立性を持たせているならば、教育委員会の判断を尊重すべきではなかったか」という問題なのです。
独立性をもたせることと、世論の意向を反映させるということは二律背反の関係にあります。
「はだしのゲン」事件は、教育委員会の独立性に関する問題に一石を投じたと言えるのではないでしょうか。
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