尊敬することは、どんな感情とも併存しうる。
たとえその人を憎んでいて、その人のことをこの世から消し去りたいとさえ思っていたとしても、
何らかの部分で尊敬することはできる。
自分は、他人を尊敬することを忘れがちになるから、
意識して尊敬するようにしないといけない。
昔の友達に会った。懐かしかった。
会えて嬉しかった。難しいかもしれないけど、また会ってほしいと思った。
昔の友達から元気をもらった。
それと同時に、自分に喝を入れてもらった気がする。
もやもやしていたことを、昔の友達にあうことで振り払うことができた。
とにかく、今いる場所で、やることをやっていくしかないんだと、それしかないんだということがはっきりした感覚がある。
自分は一生、このまま誰にも想ってもらえないんじゃないか、と考えると、すごい悲しくなった。
誰かに想ってもらえるってとても幸せなことだよな・・・・。

2月14日の日記

2008年2月14日 日常
明日でいろいろなことが一段落する。
けれど、それで努力をやめていいわけじゃない。
やるべきことをやり続けないと。
でも、今回は良い結果をだすことができなかった。

2月11日の日記

2008年2月11日 日常
最初は小さな傷だったはずのに、それが段々でかくなっていった。
いつのまにか自分で自分の首を絞めていた。
やるべきことがあって、単にそれに付随していた事柄だったはずなのに、
その付随していた事柄についての失敗が大きくなってきている。
悩みたいところで悩めない。本当は、こんなところで気を病んでいる場合ではない。
次はもう失敗しないようにする。
対策はわかっている。とにかく安全策を選んでいけばそこで悩むことはない。

2月10日の日記

2008年2月10日 日常
感情の起伏を抑えることが難しい。
本当に些細なことなはずなのに、いろいろ気にしてしまう。
無駄に感情が高ぶってしまう。
とにかく、感情をそのままにしておくことは、自分にとってマイナスにしかならない。

2月9日の日記

2008年2月9日 日常
ここ最近、感情の起伏が激しすぎる。
というか、その時々に起こることに一喜一憂しすぎている気がする。
その瞬間その瞬間で最善を尽くしていくしかないのだから、
少々の失敗があっても、気にせずやれることをやるしかない。
とにかく無駄な感情を抑えないと、やるべきことに手がつかなくなってしまう。
ダイアリーノートを使うことは、自分にとってどんな意味をもっているかについて考えてみた。
ダイアリーノートを使うことによって、自分の価値観と向き合うことができる。
ここでは、日常のことなどは、ほとんど書いていない。
自分が感じたことを抽象化してここに書き連ねている。
抽象化したことしか書いてないけど、全て自分が心の底から思ったことを書いている。

2月7日の日記

2008年2月7日 日常
自分以外の何か、他人なり組織なり、に責任を負うってどういうことなのだろうか。
責任を負うっていうことは、とにかく何が何でも結果を出すことが求められるということだと思っている。
他人や組織に責任を負うというのは、どんなことをしてでも、他人や組織の利益を図り、守ろうとすること。
責任を負うというのは、辛く面倒くさいことだな。
そして、責任を負うなら、他人や組織に感謝されることがなくても、その責任を全うしないといけない。
感謝されないのに責任を全うするのは、むなしい気もするが、それが責任なんだから仕方ない。
感謝されなくても、他人や組織のために貢献できるのがうれしいと思えればいいのだろうけど、それはかなり難しい。自分が貢献できることそのものがうれしいと感じられる他人や組織は限られるはず。
ただ、そもそも、責任なんて自分自身がどう感じるかの問題。
そう考えると、責任を感じてしまうってのは、無駄にプレッシャーになってるだけなのかもね。

2月6日の日記

2008年2月6日 日常
自分の気持ちに素直になる=他人を不幸にして自分の利益を図る、という状況だったら、
やっぱり自分の気持ちに素直になっちゃいけないよな。
できるなら、他人の幸福を守っていかなきゃだし。
例えそれが自分の感情に反することだとしても。

2月4日の日記

2008年2月4日 日常
今の自分では何もできないから、
自分に力をつけて、何かができるようになってから、
他人のことを気遣うことにする。
今の自分は、何の力も持たない、何も守れない。
誰かのために何かをしようと思っても、何もできない。
力をつけるために、他人を利用する。そのために、白い目で見られてもいい。

2月3日の日記

2008年2月3日 日常
他人に好かれよう、なんて考えていると、
裏切られたと思ってしまったときにくる反動が大きくなる。
だから、他人に嫌われるような行動をとったっていい。
最初から、自分以外の人間はどうなってもいいと思って振舞っていれば、
どんなことをされたって気にならなくなる。
自分が他人に対してひどい仕打ちをしてれば、他人からのひどい仕打ちを、どうとも思わなくなる。

2月1日の日記

2008年2月1日 日常
他人に迷惑かけたって、気にしない。
嫌がられたって、そんなこと気にせず、しれっとして生きていくことにする。
嫌がられても、迷惑がられても、自分の満足のために他人の感情なんて踏みにじる。
自分が一番かわいいから、自分を守ることだけ考える。
そういう思いを心に留めて日常を過ごすことにする。

1月29日の日記

2008年1月29日 日常
自分が今やろうとしていることが、
明らかにうまくいっていない。
やるべきことはやっているはずなのに。
自分は今、何と向き合うべきなのかがわからない。
悩んでいる暇があったら、一個ずつ問題を片付けて行けってことなのか。
けれど、何かに取り組もうとする気力が湧かない。
失敗が続く→やる気をなくす→やる気がないからさらに失敗する、という悪循環に陥りそう。
何とか、気持ちをリセットして、やるべきことと向き合わないと。
自分だけ良ければいい。
他人のことなんか考えたくない。
自分の利益だけを追い求めるようにする。
そうした方が楽だし。
人間として最悪かもしれないけど、
自分の利益だけ追い求めてればいい、って考えれば、
やるべきことが単純になるし、心の負担も少なくなる。

1月27日の日記

2008年1月27日 日常
人の信頼を得たり、良い感情をもってもらうというのは、
それに越したことは無いけど、あんまり自分を否定してまで得る必要は無い。
自分が自然体でいて、大体その範囲の中で他人と関わっていければいい。
多くの人に、良い感情をもってもらおうとすると、多くのエネルギーを使わないといけない。
悪いことではないと思うけど、どこかで人間関係を割り切ってしまうことも必要。
まあ、これは全部、自分の心の中の問題なんだけどね。

1月26日の日記

2008年1月26日 日常
とにかく、続けること。
日常をどう過すかによって、その先で得られるものが変わってくる。
自分がすべきなのは、その時々の状況に左右されずに、
メンタリティを維持すること。

1月24日の日記

2008年1月24日 日常
昨日の日記に、
自分の心に鍵をかけた時期がある、と書いたけど、
その時期に自分と向き合うためにこの日記を始めたんだ、確か。
今では、その時々の悩みを書いてるだけだけど、
当初は、ずっと自分の中で抱えていた、マグマのように渦巻いてどうしようもなくなっていた考えを少しずつ文字にするために、
ダイアリーノートを使っていた。

1月23日の日記

2008年1月23日 日常
自分自身と向き合うために、
他人との心の交流を遮断してしまった時期がある。
とにかく、そのときは心を遮断しないと気が狂ってしまうと思った。
そして、それによって、いくらかは自分の心の整理ができた。
けれど、自分の心に鍵をかけてしまったことで、失ったものも大きいのではないかと、今はそう感じている。
でも、そのときは、自分の心に鍵をかけるしかないと思っていた。
それが無意味だったわけではない。
ただ、それが原因になって、もっと昔にクリアすべき自分の課題を現在まで持ち越してしまっている気がする。

1月22日の日記

2008年1月22日 日常
努力は報われるなんて、甘い考えはもたないようにしてきたつもりだけど、
頑張っても結果がでないってのはやっぱり辛いね。
けれど、ここで落ち込んでいてもしょうがないので、
普段と同じような努力は続けないといけない。

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